赤ちゃんの身体

正期産の娘が呼吸障害でGCUに45日間入院した話【自分語り】

娘が入院していた話

私の娘は生後45日間NICU/GCUに入院をしていました。

この記事は何か伝えたい情報があるわけではなく、入院生活に対する自分の経験と思いについてただただ綴っています。

娘が入院している間、同じようにお子さんの入院を経験した方のブログが心の支えになりました。

また、そのお子さん方の症状を娘に当てはめて、様々なことを考えたり試行錯誤したりするヒントになりました。

私の経験も誰かに有益かもしれない。そんな淡い気持ちで執筆することにいたしました。

とても長文になり恐縮ですが、お時間がある方はお付き合いください。

結論から言えば、娘は「呼吸障害」で入院していましたが、病気があるわけではありません。

当時の日記から転記してまとめたものになりますので、言葉選びでご気分を害してしまうこともあるかと思います。

お目通しは自己責任でお願い申し上げます。

出産の話

私の娘は、予定日を一週間以上超えて生まれてきました。

予定日に焼き肉を食べに行ったり、主人と毎日スクワットをしたり、日中はお散歩をしたり、生まれると言われる行動・ジンクスをことごとく試しましたがダメだったんですよね。

妊娠にも1年以上の月日がかかっていたので、「のんびりした子だね」と主人と笑っていました。

この時はまさか退院までのんびりになるとは夢にも思わず(笑)

生まれた時も3000gオーバーで、びっくりするくらい大きな泣き声だったのを覚えています。

もちろんアプガースコアは1分後も5分後も満点。

健康そのもの、そう思っていました。

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新生児室→母子同室→新生児室(1日目)

私の出産した病院は、全員個室。そして産後翌日から母子同室が始まります。

当然のことながら、私も母子同室が始まりました。

昼過ぎからだったのですが、二人きりの部屋に緊張しつつ、それ以上に可愛い可愛い娘に会えた嬉しさを感じていました。

日中は主人や義両親が遊びに来ていて、娘はよく泣いて元気そのもの。

異変が起きたのは夜でした。

娘が突然吐いて、今までにないくらい大きな声で泣き出したのです。

驚いてナースコールを押して看護師さんに様子を見ていただきました。

すると

吐くのはよくあることだけど、不機嫌なのが続いているから今夜は念のため預かるね。

と言われました。

正直、会陰切開や尿道カテーテルの痛みがあり、何より産後の疲労が残っていたのでむしろ寝れると喜んで預けました(笑)

実際は夜中でも

*はな*さーん。娘ちゃん起きたので授乳に来てくださーい。

と新生児室まで呼び出されたので、ほとんど眠れず移動距離が増えただけでしたが・・・。

新生児室で会った娘は、心拍や血中酸素濃度を測るモニターを付けていたのでびっくりしましたが、元気そうで安心しました。

けれど、結局この後新生児室から私の部屋に彼女が戻ってくることはなかったのです。

さらに母子同室に戻り、また新生児室へ(2日目)

翌朝、モニターをつけた娘が看護師さんと一緒にやってきました。

すると、看護師さんに

娘ちゃんに一晩モニターを付けていたら、サチュレーションが下がることがわかりました。
先生と相談したら退院までモニターを付けることになったんですけど、このお部屋でアラームが鳴るたびにナースコールをしていただけますか?

と言われました。

サチュレーションとは、血中酸素濃度のこと。

96%以上が正常範囲で、娘に着けているモニターは95%を切るとアラームがなる設定だった。

*はな*
*はな*
サチュレーションはどの程度下がるんですか?
80%台になることが多く、70%台まで落ちることもありました。

・・・なんだと!?落ちすぎじゃない!?

見た目では顔色が悪くなったことは一度もなかったのでとても驚きました。

詳細を聞くと、特に入眠時や哺乳時など、何かに集中してしまうと呼吸が浅くなるのだそう。

赤ちゃんはお腹の中から外に出てきたときに自然と呼吸を始めるのですが、外界への適応がゆっくりで呼吸の仕方を覚えるのが遅い子が稀にいるそうです。

呼吸忘れるってマイペースすぎだろ、娘よ・・・(笑)

*はな*
*はな*
41週もお腹の中にいると、そちらに慣れてしまうんですかね?(笑)
でもほとんどの子が2~3日でお外の方に慣れますよ(笑)

なるほど、それなら一緒に退院できそうだな。

そう安心しつつ、ナースコールの件を快諾して12時間ぶりに二人きりになりました。

すると。

想像以上の頻度でアラームが鳴ること鳴ること(苦笑)

こんな頻度でナースコールしたら迷惑になるだろうな、と事情が分かっているものだから、ナースコールもだんだん遠慮がちに。

(これ、医療従事者あるあるだと思います・・・。)

90%を切ったらナースコールを押そう、と決めてそれ以外は時間と数字をメモしていたのですが、それもあっという間にいっぱいに。

*はな*
*はな*
この頻度と数字だと、同室厳しくないですかね・・・?

とつい自分から言ってしまいました。

すると看護師さんも

そうですよね。お母さんさえよければ新生児室で預かりますよ。

と言ってくれて、お言葉に甘えて預けることにしました。

この時の私は、母子同室のデビューがいきなりおうちは緊張するなーなんて思っていました。

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私の入院中の生活(2日目~3日目)

こんな流れで、結局私の退院まで新生児室で娘は生活することになりました。

実はサチュレーションの他にも娘には問題があって、それは体重減少が大きいこと。

生理的体重減少はすべての赤ちゃんに見られ、ほとんどが5~6%。

10%を超えてくると減りすぎなんですが、娘は9.8%減っていました。

そのため新生児室でミルクを足していただいていたんですが、私の母乳も必要になってくるため3時間おきに搾乳をするよう看護師さんから言われました。

当時の搾乳は両胸で30分。

新生児室での哺乳も、搾乳分を温めてもらってからげっぷまで30分。

なので「自室での搾乳」と「新生児室での哺乳」が1日のほとんどで、隙間時間にご飯やシャワー、面会をしていました。

娘の経過(3日目)

初産の人は5日目で退院になるのですが、3日目になっても娘のサチュレーションは改善の傾向が見られませんでした。

看護師さん数日で良くなるって言ってたのに。明後日に退院するんだけど。

とさすがにだんだん不安になってきます。

看護師さんからは、

退院の日の朝に最終判断すると先生は言っていましたよ。

という説明。

でも新生児室で会ったときに見るサチュレーションは、どう考えても明後日には良くなる数字には見えません。

うーん・・・雲行きが怪しくなってきたぞ。

そんな嫌な予感は当たるのです。

新生児室からNICU/GCUへ(4日目)

4日目の朝、看護師さんと一緒に小児科の先生とNICU/GCUの看護師さんたちが来ました。

その時点で「あーあ。」とすぐに察しました。

案の定、入院の案内でした。

そんな予感はしていましたし、この数字を見たまま一緒に退院する勇気はなかったのでもちろん了承。

今日の検査は脳・心臓・腎臓のエコー検査と、レントゲン、血液検査を予定しているとのことでした。

先生の考えている原因も含め、冷静に話を聞いていました。

動揺したのは、次の言葉でした。

入院期間は1週間~4週間を予定しています。

・・・4週間。

それはかなりショックでした。

私も入院していれば、好きな時間に好きなだけ会いにいける。

でも、帰宅してしまえばそうはいきません。(自宅と病院は車で20分ほどの距離でした)

急に“寂しい”という感情が私を襲ってきました。

「娘に何か問題があるかもしれない」という不安より「一緒に帰れない」「貴重な新生児期を離れて暮らすかもしれない」という喪失感が大きかったのです。

入院説明の間は、ぐっと涙を堪えていました。

けれど、先生や看護師さんたちが退室したあと1人になった途端、急に感情が爆発して涙が止まらなくなってしまいました。

予感していたって、やっぱり寂しいんです。

不安ないつもりだったけど、やっぱり心の片隅には不安があったんです。

主人の前でも、両親の前でも、義家族の前でも、友人の前でも、看護師さんたちの前でも、私が泣いたら気を遣わせてしまうとわかっていたからずっとしまい込んでいました。

「予定外に1人時間が増えてラッキー(笑)」なんて冗談めかしていましたが、10ヶ月もお腹にいたあの子が離れてしまった本当の“1人”は本当に悲しく感じました。

一度泣き出すと涙が止まらなくなって、嗚咽を漏らして泣いていました。

今思えば、マタニティーブルーの一種だったのかもしれません。

すると、部屋担当の看護師さんが

*はな*さーん。先生のお話どうでしたかー?

と部屋に入ってきたのです。

今まで強がっていたので、当然看護師さんは本当に驚いていました。

けれどいっぱい背中を撫でてくれて、あとで一緒にNICU/GCUに行きましょうと言ってくれました。

初めてのNICU/GCU(4日目)

昼過ぎには娘は新生児室からNICU/GCUに移ったと聞きました。

搾乳した母乳を持って看護師さんとNICU/GCUに行き、入室の方法や注意点について聞きました。

当然のことながらNICU/GCUは産科病棟と違い、ピッピッという機械音やシューという酸素投与の音が響いていました。

大きな機械も多く、初めて入るこの部屋がまるで映画やドラマの世界のようで、圧倒されたのを覚えています。

娘は保育器の中で、おむつ一枚でうつぶせに寝かされていました。

保育器、というところにまたショックを受けて、一度緩んだ涙腺から我慢できずにまた泣いてしまいました。

保育器には両手を入れて触れることはできますが、当然のことながら抱き上げることも直接授乳させることもできません。

たった透明のプラスチック一枚。

けれど、透明のプラスチック一枚。

全身で娘に触れられないその距離がすごく遠くて、こんなことなら最後の授乳の時にもっともっと抱きしめておけばよかったと後悔しました。

これは後からの話ですが、45日も入院していればたくさんの入退院する赤ちゃんを見ました。

泣いているお母さんは1人もいませんでした(笑)

もちろん陰で泣いているかもしれません。

けれどNICU/GCUで泣いている母親は、私だけでした・・・。

すみません・・・。

この日の夜は、他の個室から聞こえてくる赤ちゃんの泣き声が初めて羨ましく思いました。

なぜみんな赤ちゃんの泣き声で起きているのに、私は機械音で起きなくちゃいけないのか。

なぜみんな赤ちゃんの可愛い口で母乳を飲んでもらっているのに、私はプラスチックに飲まれているのか。

そんなむなしさを感じました。

私の退院(5日目)

産後の母親は午前中に退院するのですが、看護師さんの配慮ですこしでも娘に会えるように午後退院にしていただきました。

けれど昨日泣きまくってしまったことが看護師さん同士で申し送りされたのか、顔見知りになった看護師さんに会うたびに眉を下げて心配されて、気まずかったのを覚えています。

娘にギリギリまで会って、母親と一緒に自宅に帰りました。

母親にまで気を遣われると耐えられないと思い、今度こそもう泣くのはやめようと決意。

それでも、家で準備万端にしていた赤ちゃんのお迎えグッズを目の当たりにすると、やっぱりこみあげてくるものがありました。

空っぽのベビーベッド。

揺らす必要のないメリー。

減らないオムツ。

キレイに整頓された洋服たち。

私のお腹はこんなにぺったんこなのに、なぜこのベビーグッズたちは静かなままなのでしょう。

そんなことを考えているうちに急に疲れがこみあげてきて、家事や片付けを母に任せて私は少し寝ることにしました。

これ以上考えていると母の前でも泣いてしまうと思って、念のため寝室のドアは閉めて寝ました。

入院後、最初の1週間

娘の検査結果はまったく問題なく、娘は私の退院後すぐに保育器から出ました。

代わりに鼻に酸素チューブをつけましたが、それも1週間で解除。

あっという間に肩枕のみになり、これが無くなれば退院という話に。

看護師さんにも「このペースなら週末には退院できそうですね!」と言われて退院チェックシートも確認していました。

それが「週明け」になり「週半ば」になりまた「週末」になり、ついには言われなくなる・・・のは文脈の中ではまだ先の話ですが(笑)

この肩枕がしぶとかったんですよねー。

45日中30日くらい使っていたと思います(苦笑)

娘は入眠時にサチュレーションが乱れるのですが、早々に昼夜のリズムがつき夜間しか熟眠しなかったので私がいる間にはサチュレーションの評価が出来ませんでした。

なので、朝NICU/GCUに行くと看護師さんから昨夜の様子を教えてもらうという日々。

「昨夜はどんな数字だったんだろう」「昨夜は肩枕減らせたかな」とドキドキしながら通院していました。

テストの合否を聞くのと同じような感覚だと思います。

部屋に入って娘の肩の下に分厚い肩枕が挟まっていると、がっかりしたものです。

娘は保育器から出た後は、私の滞在中は直母で授乳していましたが、不在の間は冷凍して持って行った搾乳を飲ませてもらっていました。

なので自宅でも3時間おきに搾乳する日々で、相変わらず「なぜ私は・・・」ということが頭を占めていたように思います。

私はどちらかというと母乳過多で、3時間おきにアラームをかけないと岩のようになってしまったので、「搾乳」という現実から逃げたくても逃げられませんでした。

入院2週間目

NICU/GCUに併設されている小部屋で、娘と二人きりになる時間をもらえるようになりました。

入退院する赤ちゃんたちを見ていて、みんな退院する前にはこの同室部屋を経験しているようなので、退院へ一歩近づいているような気がしました。

大体5~6時間一緒にいて、その間の授乳やおむつ替えはすべて一人で行います。

娘はほとんど寝ていたので、私は一人でスマホをいじっているだけでしたが、それでも今までの思いを考えれば幸せに思いました。

(スマホはNICU/GCU内では持ち込み禁止でしたが、同室部屋は少し離れていたので許可されていました。)

ただ、この頃から友人や会社関係の人から娘に会いたいという連絡がたくさん来るようになりました。

けれど、私は娘が入院していることを言えませんでした。

看護師さんたちのように気を遣われるかもしれない。

娘が入院している母、と哀れんだ目で見られるかもしれない。

私のいないところで勝手な噂として広まるかもしれない。

「検査結果で何も異常はなかったの。」と言ってもこれから見つかるかもしれない。

そんな被害妄想のような思いばかり浮かんできてしまいました。

だから連絡をしてきた人には「体調が落ち着かないから」「家のリズムがついていないから」とウソをついていました。

そんなウソもまた、私の心に影を落としていたように思います。

入院3週間目

ついに肩枕がなくなりました。

けれど改善ではなく、正確には「あってもなくてもサチュレーションは変わらない」という理由でした。

一応目標だった「肩枕オフ」は達成したので、形式上先生から退院の提案をされました。

上記の通りの症状なのでもちろん退院は手放しで喜べるような提案ではなく、

100点ではないけど、退院しても入院してても経過は変わらない気はするし、でもやや不安は残る

みたいな曖昧な退院提案でした。

入院中何度も血液検査やレントゲン検査を繰り返しましたが、相変わらず悪いところは見つからず。

けれどゆっくりながらサチュレーションは改善を見せていたので、本人の呼吸能力の問題=ひたすら成長待ちという生活だったのです。

つまり、入院していても治療方法は何もないのです。

最初は「4週間も入院!?長いよ!無理!」と思っていましたが、この頃は通院生活にも慣れ「そんな半端な状態で退院するの怖いんですけどー・・・」という思いが勝っていました。

万が一今の状態で退院した場合、自宅には呼吸停止を知らせるセンサーを持ち帰るように言われました。

このセンサーは、ベビーベッドの下に敷き、呼吸による揺れを感知してくれるものです。

呼吸が止まると大きなアラームがなる機械でした。

*はな*
*はな*
[もしアラームがなったらどんな対応をすればいいんですか?

そう尋ねると、母子手帳内にある心肺蘇生法のページを説明されました。

無理だと思いました。

だって日中は私が娘の面倒を見るんです。

彼女に何かあった時に、冷静に対応できる自信なんてありません。

それを伝えたところ、まずはもう1週間様子を見てみようという話になりました。

入院4週間目

私が

*はな*
*はな*
何か生活リズムの中で“こういうタイミングでサチュレーション下がるよ”っていうのがわかればいいんですけどね。

と発言したのをきっかけに、看護師さんと様々な見解を立ててみることになりました。

例えば

・便秘時

・授乳直後

・入眠後〇時間

などなど。

それさえわかれば、そのタイミングだけ特に注意して呼吸状態を見ればいいわけですからね。

けれど、実はそれを始めたのが「あと1週間」と言っていた中のほぼ終わり際で、自然に「もう1週間」入院期間が延びることになりました。

娘は相変わらず悪いところが見つからず元気でした。

元気すぎて、主人と「なんで入院してるんだっけ・・・?」と言い出すくらい。

そんな中1ヶ月記念日は病院で迎えることとなり、娘のベッドに「おめでとう」の張り紙をしてもらいました。

たくさんの看護師さんにも声掛けしてもらって、娘は満足そうに笑っていました。

一度退院提案をしてもらったことで安心したこともあり、入院が予定以上に伸びていることにはあまり動じなくなっていました。

入院5週間目

体重4000gを超えてくると、突然娘のサチュレーションはほとんど下がらなくなりました(笑)

それまで下がりにくくなっていたと言っても下がってはいたのに・・・です。

そして、今度こそ本当の退院提案をしてもらいました。

退院面談の中で、気管支鏡検査やMRIも視野に入っていたことを初めて知ってびっくりしました。

この経過の中で、やはり娘のサチュレーションが下がる原因は「未熟性」だったと結論付けられました。

41週もお腹にいて、3000gも超えて生まれてきて未熟とは・・・何が起きるかわからないものです。

この頃には、私の心に巣くっていた暗い気持ちは姿を完全に消えていました。

解決してくれたのは、ただただ「時間」でした。

自分の体も心も回復してきたいたこともあるかもしれません。

けれど、気晴らしに犬の散歩に行ったり、料理をしてみたり。

娘が退院したらしばらく行けないところに行っておこうと、焼肉や回転寿司にも行きました。

退院の話を受けた時には真っ先に美容院とまつ毛パーマの予約を取りました(笑)

そんなことに気を回せるくらいの余裕が、やっとのことでできていました。

退院

娘のサチュレーションは完全に落ち着いていて、前述した呼吸停止を知らせるセンサーは必須ではありませんでした。

けれど娘は、サチュレーションが70%台に落ちていたころから一度も顔色が全く変わらない子だったので、念のためセンサーをレンタルして使用しています。

娘の退院には、NICU/GCUに出勤していたほとんどの看護師さんがお見送りに来てくれました。

娘の写真付きのお手紙をいただき、皆さんに抱っこしていただき、そして泣いてくれる看護師さんもいました。

あんなにめそめそしていた私がここまで立ち直って笑顔で退院できるのは、こんな風に娘のママ役を代わってくれたたくさんの看護師さんたちがいたからだと思います。

娘は自分の名前を「かわいい」と勘違いしているのか、名前を呼ぶより「かわいいね」と言った方が反応します(笑)

それくらい、いっぱいいっぱい「かわいいね」と愛してくれていたのがわかります。

本当に感謝しかありませんでした。

大きくなった娘を見て、新生児期からの1ヶ月半という貴重な時期をあまり一緒に過ごせなかったのは、やっぱり寂しく思うときがあります。

それでも、NICU/GCUのスタッフさんたちと過ごした日々はかけがえのないものだったとも思うのです。

まとめ

自分が母にならなければ母の気持ちがわからないように、自分が経験しなくては知らない気持ちはたくさんあります。

娘が入院したのも、その経験の一つでした。

「娘が無事に生まれてきて、健康そのものである」ということは、とてもありがたいことであるのにも関わらず「当たり前」にその現実がやってくると思い込んでいました。

娘が夜中に泣いて起こされることも、カップラーメンにお湯を入れた瞬間泣き出すことも、ゆっくりお風呂に入れないことも、すべて当たり前ではないのです。

どんなに大変でも、娘と一緒に過ごせるということは、とても幸せな愛しい日々。

一日一日を大切に、「今日の娘」は今日しかいない。

入院を経験していなかった「私」より、今の私の方が心から強くそう思えるのです。

そしてこうして私に改めて娘の大切さを実感させてくれたすべての人に、心から感謝を伝えたいと思います。

*はな*
*はな*
自分語りの長文をここまで読んでくださりありがとうございました。

追記

娘の入院を通して知ったことは、気持ちの他に「育児方法」や「ベビーグッズ」もあります。

入院で得た情報シリーズ(?)として、記事を上げた時にはここにもリンクを貼っていきたいと思います。